親父が死んで3年。昨日、初めて親父の墓参りに行ってきた。
墓参りといっても、前サイトの日記を読んでくれてた人はご存知のとおり、うちの親父は一心寺という集合供養?のお寺に納骨したので個人のお墓というものはない。ので、一心寺にお参り。
あんなにクソミソに言ってた親父の墓参りなんかに何故行ったのかというと、いやね、
憑かれてる、
ってある人に言われたのが原因なわけではあるが。
ま、憑いているのが、親父なんか他の誰かなんかってのは、その人には分からんかったんやけど、心当たりあるのは親父しかおらんし。
親父が死ぬ前に、俺が親父にしたことは後悔してない。その事が親父の心残りになってるのかもしれんけど、俺は間違ってない。その上で、生きている人に対して、暖かく見守ってほしい、みたいなことを話してきた。
よくよく考えると、いくら忘れようとしても、あの男が親父であることに変わりなく、死んだ事実も変えようがない。なかった事に出来ないのならば、少しずつ、自分のなかで消化していくしかない、と遅まきながら気づいたことは、収穫だったかもしれない。
ま、墓参りのもともとの動機が不純でもあるし、それにたった一回お参りしたぐらいで、憑いているかもしれないものがおちるなんて、都合のいいことは考えてない。だから、あるものはあるものとして付き合いながら、ボチボチと冥福を祈ろうとは思ってる、夏の日の暑い午後。